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第5回 山の天気は変わらない

槍ヶ岳山荘(肩の小屋)を出発したのは午前6時であった。すでに多くの人が先の方を歩いている。さすがに槍穂高縦走は人気のコースだ。誰もがこの日を待ち望んでいたに違いない。今日は快晴微風である。久しぶりで、雲上の山歩きを楽しむことができる。イワヒバリも楽しそうに飛び交っている。

南岳の小屋に着いたのは9時過ぎであった。さて、ここからがいよいよ難所となる。キレットの深い落ち込みをのぞいてみるとやはり怖い。気をつけてゆっくりと進めば大丈夫。そう自分に言い聞かせて慎重に下り始めた。しばらく進むと、順番待ちをしている。やせた岩尾根なので、誰もがへばりつくように歩いている。渋滞するのは当然だ。

このコース最大の難所「飛騨泣き」も無事に通過して、ようやく北穂山頂に着いた。時刻はすでに午後1時を廻っていた。遅い昼食を取り1時半に出発した。涸沢への分岐を過ぎ、しばらく進んでから、景色のよい所で腰を下ろした。あと1時間ほど登れば、涸沢岳の頂上に立つことができる。そこでこの縦走もほぼ終わりだ。そう思うと少し安心して、景色をゆっくりと眺めながらコーヒーを飲んだ。イワヒバリの鳴き声が聞こえる。遠雷も聞こえる。音のする方を見ると、小さな稲妻が何本も光っていた。あまりゆっくりもしていられない。腰を上げて、最後のピッチに取りかかった。

涸沢槍の付近まで登ったところで急にあたりが暗くなった。と、まもなく閃光があった。しばらくして雷鳴がとどろく。また、光った。1、2、3、・・・とカウントする。15秒で雷鳴が聞こえ始めた。すると、距離は約5キロだ。ピカッ。1、2、3、・・・。今度は9秒だ。近づいている。しかも早い。すぐここへ来る。だが、逃げる場所などない。前を歩いている人はどうしているだろうか、と思って見た。見て、寒気を感じた。首から上が青白い炎で包まれているのだ。すぐに身を伏せる。まもなく閃光が横に走る。と同時に、耳元で爆発音がし、火柱が立った。一瞬、気が遠くなったようだった。

気がついて目を開けたが目が見えない。と、スコールが突然やってきた。雨粒をまるで小石のように叩きつける。たちまち勢いよく流れ始めた。流されないように手探りで岩にしがみつく。

どのくらい時間がたっただろうか、スコールがやんだ。目もしだいに見えるようになった。起き上がって身体を調べたが、どこも何ともない。助かった。前を歩いていた人はどうしただろうか。その人がいた所まで急いで登って行って、「おーい」と叫んだ。聞こえない。自分の声が聞こえないのだ。どうやら耳をやられたらしい。

あたりを探し回ったが、彼が見つからない。急いで小屋に知らせなくては、そう考えて一生懸命に登った。ようやく涸沢岳の頂上に着いた。すぐ下に穂高岳山荘が見える。地獄からようやく這い上がったような気持ちだった。

駆け下りて小屋に着くと、なんとそこに彼がいた。彼は私を見ると、「あんた雷が鳴った時、倒れただろう。てっきりやられたと思ったよ」と言う。あの時彼も私のほうを見ていたらしい。二人で話をしているうちに、耳が聞こえているのに気がついた。

小屋に入って、「えらい目に遭った」と言うと、「最近毎日こんな天気が続いている。午後2時を過ぎたころに雷が鳴り、スコールがやって来る。山の天気は毎日変わらない。この天気にはもう飽きたよ」と小屋番が言う。宿泊の受付を済ませ小屋の外に出てみると、雲一つない青空が広がっていた。

※ 『新ハイキング』誌、'98年8月に掲載されたものに加筆修正したものです。

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