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第34回 ヤブ党の気持ちはわからない

ヤブ党というのは甘党とか辛党とかと同じようにヤブ(藪)が好きな人たちのことである。ヤブとは人の手が入らない自然のままの植生の場所のことである。したがって、通常は潅木帯か笹原である。潅木帯は木の高さが人間の背丈かそれよりやや高い木が茂っている場所のことである。潅木帯は通常イバラや下草に覆われている。笹原はクマザサやチシマザサ(ネマガリ竹)などササ類が一面をおおっている場所のことである。つまり、ヤブには道がないうえ、入り込んだら周囲がまったく見えない場所なのである。こういう潅木帯や笹原を好んで歩くのがヤブ党である。

登山の形態には、基本的に、縦走、岩登り、沢登りの三つがあり、特殊な形態としては氷壁登攀などもある。ハイキングは縦走の一種と考える人もいるが、登山ではなく軽登山だと主張する人もいる。しかし、最近では日帰りハイキングが一般化しているので、むしろ山歩きの代表的な形態と捕えるべきだと私は思う。また、ヤブ党に言わせると、ヤブ漕ぎは山歩きの一形態であるという。ヤブを掻き分け掻き分け漕ぐように進むことからヤブ漕ぎというが、私はヤブ漕ぎを山歩きの一形態であるとは考えたくない。

縦走はいくつかの山頂を結んで分水嶺(稜線)に沿って歩くことであり、分水嶺の両側の景色が楽しめる。岩登りはザイルやハーケンなどを使って岩山を垂直に上ることである。縦走が山を横方向に歩く形態だとすれば岩登りは山を縦方向に歩く形態ということになる。縦走が横方向に歩くのに、なぜ縦に走ると書くのかはよくわからない。スポーツ登山以前から登山は人が生きるために必要であった。縦走は稜線の要所要所に砦を築き、それらを繋いで敵の襲撃から守るために必要であった。岩登りは遠くの敵の動きがよく見える高い場所を確保するために必要であった。沢登りは谷を遡って水を確保しながら峠を越え、短い距離で峠の向こう側の村里と交流するために必要であった。ヤブ漕ぎは新しいルートを確保するために必要なものであった。しかし、ヤブ漕ぎはスポーツ登山としては適しているとは思えない。

昔、私も一時ヤブ漕ぎに凝ったことがあった。それは学生のころで、中学時代からホームグランドの丹沢を歩き、丹沢の道をほとんど歩いてしまった後に歩くところがなくなって、ふと思いついたのが等高線に沿って歩くことであった。そのころは、一度歩いた道は地図に赤鉛筆でなぞっていたので、すべての道が赤い線になると歩く道がなくなってしまった。同じ道を歩くなんてつまらないことだと思っていた。しかも、地図に描かれた道を歩くのが山歩きだと考えていたので、道がすべて赤鉛筆で色づけされた後は、地図上に残っている線は等高線と川しかなかったのである。川に沿って源流に向かって歩くのが沢登りであるが、沢登りは気が進まなかったので等高線に沿って歩くことにしたのである。

等高線に沿って歩けば必ずもとの出発点に戻る。そこで簡単なところから始めることにした。つまり、山の頂上付近からである。頂上付近では頂上の周りを一周するだけであるから簡単である。そして、だんだんと標高を下げていって、谷にぶつかったところで終了することにした。なぜなら谷を横切って渡るには沢登り技術が必要だし、場所によってはかなり高度な技術と装備が必要だからである。谷を横切ってまで等高線に沿って歩くほど私は凝らなかった。しかし、ヤブ漕ぎと沢登りが好きな人にはお勧めである。たとえば標高1000mの山を200mごとに引かれた等高線に沿って歩くと5周することになる。また、標高が下がるにしたがって1周する距離が長くなり、最後は山のふもと近くを1周することになるわけである。日本の山は比較的勾配が急だから尾根と谷があるので、かなり楽しめるであろう。

等高線は文字通り高さが等しいところを線で結んだものであるから、山の地形を知るには非常に重要なのである。小学生のときに、等高線に沿ってボール紙を切り取って、それを何枚も重ねて山をボール紙で作った覚えがある。小学校で学ぶわけだから、等高線に沿って歩くというのは意味があり、一つの山歩き形態であると思う。この山歩き形態について何人かのヤブ党に話したことがあるが、そんなことを考えた人はいなかった。山歩きの本を見ても書かれているのを見たことがない。ヤブ党がなぜやらないのか不思議である。二人で、あるいは二組で同じ場所から反対方向に歩き始めて、最後に出会うことができればバンザイである。大きな山のふもと近くを数日かけて等高線に沿って歩き、ついに元の場所に戻ることができたり、反対方向に歩いた二組が出会うことができればそこで宴会となろう。

しかし、ヤブ漕ぎは容易ではない。第一に道がない。ヤブの中に入ったら足元も周囲の景色も見えない。足元を確かめながらヤブを掻き分け掻き分け進まなければならない。その結果、手も顔もイバラのトゲで傷だらけになる。ササも馬鹿にはできない。ササは鋭利な刃物となる。ササで顔を切って数針縫った人もいる。もちろん、地図と磁石と高度計を手放すことはできない。地図と磁石と高度計とを見比べながら歩くのだが、それでもたいていは数メートル外れる。それがかえって面白いのだ。二組でそれぞれ反対方向へ歩いて行って、もうそろそろ出会うころだと思いつつも結局、互いにわからずにすれ違ってしまうのだ。現在はGPSなどという道具があるから、現在位置の確認は難しくないだろう。しかし、山歩き技術の最も基本的なことを習得するにはヤブ漕ぎが一番いい。ヤブ漕ぎは読図能力やルート探索能力が身につくからだ。ヤブ漕ぎができれば安心して山歩きができる。

先日、ヤブ漕ぎに近いことをやってきた。箱根の駒ケ岳と神山を結ぶルートの間に防ヶ沢分岐がある。この防ヶ沢分岐から防ヶ沢に向かって15分ほど歩いたところから姥子温泉に抜ける道がある。この道は箱根の一般ルートであり、道はついているのだが、ほとんど歩く人がいないので整備されておらず、ササやイバラが覆い茂っている。したがって、道はところどころ見えなくなっている。ササを掻き分けて足元を良く見ないと道がわからない。中腰になって道を確認しながら歩かなくてはならない。道が急に曲がっているところなどは道を外れてしまうこともある。しかし、足裏に当たる土の硬さや感触が違うので道を外れたことがわかる。そこで、少し引き返して道を探す。これの繰り返しである。景色などは全く見えないコースであり、それでなくても中腰でヤブの中を道を探しながら歩くのは楽しいとは言えない。その上、イバラで顔と両手を数十箇所傷つけてしまった。長袖のシャツを持っていったのだが暑いので着なかった。地図に書かれているコースタイムは40分であるが、1時間半もかかってしまった。やっぱりヤブ漕ぎはもうしたくない。ヤブ党の気持ちもわからない。

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