次ページ  目次

経営相談どっと混む

第19回 なぜ山に登るのか

なぜ山に登るのかと聞かれて、「山がそこにあるから」と答えたというフランスの登山家マレリーの話は有名だ。しかし、これでは答えになっていないし、なぜこんな話が有名になったのかもわからない。また、この問いに対するマレリーの本当の答えもわからない。そこで、私なりの答えを書いてみたいと思う。

まず、私は「山登り」という言葉があまり好きではない。山登りと言うと、通常は頂上を目指して登ることになる。そして、頂上に着いたら後は下るのである。しかし、頂上まで登って、そして下るという行動だけが山登りではない。なにしろ、私は必ずしも頂上を目指さないからである。頂上に行きたいとも思わないからである。初めて行く山でも同じである。たとえ、頂上に行ったとしても、たまたま歩きたいコースの途中に頂上があっただけのことである。あるいは逆に、ほとんどのコースが頂上を目指して作られているので、そうせざるを得ないだけのことである。ところで、高いところに登りたいという欲求は人間の本能らしい。頂上から下界を眺めて、お山の大将われ一人、と悦に入ってよい気分になるのだろう。しかし、私は違う。

また私は、多くの人が目標とする深田久弥氏の『百名山』のすべてを登りたいとか、一つの山のすべてのコースを歩きたいとか、一つの山を何百回も登ってみたいなどといった気持ちはさらさらない。たまたまそうなってしまったことはあっても、意識してそうしたわけではない。なぜなら、山は私にとって征服する対象ではないからである。単に、山の中をぶらぶらと歩きたいだけである。そんなわけで私は山登りではなく「山歩き」と言っている。

さらに私は、本当は山ではなく森の方が好きである。森ならば比較的平らなので重い荷物を背負って歩いてもあまり疲れないからである。しかし、残念ながら日本の自然は山ばかりである。そのうえ、実は私は高所恐怖症である。高い山に行く度に怖い思いをする。だが、山は足が地に着いているのでまだ耐えることができる。私が最も怖いのは足が地についていないロープウエイである。高校生の時に箱根のロープウエイに乗ったことがある。恐怖で椅子にしがみついていた。周りの人は窓の外を眺めてすばらしい景色だと言っていたが、私は怖くて目を開けられなかった。この時に自分が高所恐怖症だと知った。今でもロープウエイだけは乗りたくない。実は遊園地の観覧車も怖いので乗ったことがない。

それなのに、なぜ山歩きするのかという質問に答えるのは難しい。なぜ酒を飲むのかという質問に答えるのが難しいのと同じかもしれない。山を歩きたいからと言うのは答えではない。飲みたいからとか、酔いたいからと言うのが答えになっていないのと同様である。そこで、答えを見つけるために、山へ行きたいと思うときはどんな時かを考えてみた。山へ行きたい時は何かがきっかけになっている。そして、そのきっかけはいろいろある。まさに、酒を飲みたい時と同じである。仕事がうまくいかなかった時、逆にうまくいった時、試験に落ちた時、受かった時、などである。また、季節の変わり目だとか、気持ちの変わり目だとかに行きたくなる。

運動不足で、身体を動かしたい、汗をかきたいと思った時なども行きたいと思う。こんなときに日程に余裕がなければジョギングでもするしかない。逆に、体調が少し悪い時も行きたくなる。少し悪いくらいなら山へ行けば直るからである。また、雄大な景色や美しい花などを見たくなった時、山で見ず知らずの人たちと日常とは異なる話をしてみたくなった時なども行きたくなる。普段見られない天の川や生き物を見たいときにも行きたくなる。そして、星の話とか生き物の話とか普段あまりしない話をしたくなるのである。つまり、日常生活の中で何か体や心が満たされない時や、逆に、喜びを噛み締めたいときなどに山に行きたくなるのである。こうしてみると、山歩きをするのは日常生活から離れて体と心を建て直したいからかもしれない。体と心をリセットするために山へ行きたくなるようだ。実際、山へ行くと体も心も元気になるのである。

そんなはずはないだろう。少なくとも、体は疲れるはずだと言われるかもしれない。確かに一時的に体は疲れるが、心地よい疲れであるし、疲れが回復した後にはなぜか山へ行く前よりも元気になるのである。久しぶりに激しい運動をすると筋肉痛になるが、医学的には、この原因は小さな多くの筋が切れて、その修復のために熱を持つからだそうだ。しかし、修復後には筋が太くなって切れにくくなるという。これを繰り返せばますます筋肉が強くなるのだそうだ。実際に、月に二回以上のペースで山歩きをすると、筋肉痛にはならない。月に一回ではダメである。筋肉が弱って元の状態に戻ってしまうためらしい。

筋肉の例を書いたが、心肺機能や消化機能なども同じである。つまり、循環器、呼吸器、消化器の三つが丈夫になるのである。人間の身体は良くできていて適度に使えば悪いところもよくなるし、より強くなるのである。風邪を引いた時に山歩きをすると早く直ってしまうのはこのためであろう。ただし熱があるときはダメである。熱があるということは体自身が修復している証拠だから、余分なエネルギーを使わないように体を休めなければならない。発熱のように明確なセンサーが働く場合には健康状態の判断ができるが、そうでない場合には判断しにくい。しかし、いつも山へ行っているといろいろなセンサーが働いて、自分の体の健康状態が判るようになる。

心についても体と同様に、山を歩くと元気になる。四季折々の美しい景色や花、木の緑や香り、小鳥の鳴き声などが心を癒してくれるが、それだけではない。人間は体が元気だと心も元気になるのである。山を歩ける喜びは、体が丈夫だからこそ味わえる喜びである。私は平均的な体力を持った20代の若者と同じ重量の荷物を背負っていっしょに山へ登っても引けを取らない自信がある。それは山歩きの技術を身につけているからだけではない。肉体的に負けないのである。20代の若者に肉体的に負けないという自信は心にも影響する。俺はまだまだやれるという精神的な自信につながる。

丹沢の鍋割山荘の主人は私より3つ年下で私より小柄だが、今でも60キロ以上の荷物を背負って毎週土曜日に登っている。私にはとてもそんなことはできないが、同じぐらいの年齢でそこまでできるのかと思うと嬉しくなる。80歳になってエベレストを征服した三浦雄一郎さんは別格としても、明らかに肉体が強ければ精神も強くなる。心が疲れたら休もうとするよりもむしろ、体を使って汗をかくほうが心が癒されるのである。いやなことがあった時には運動をすると良いのである。さて、結論であるが、私にとってなぜ山に登るのかの答えは心身ともにいつも元気でいたいためである。

Ⓒ 経営相談どっと混む

次ページ  目次