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第17回 山歩き事始めの始め(1)

私が山歩きを始めたのは中学生の時です。小学校では毎年春と秋に私の大好きな遠足があり、また、夏には林間学校がありました。ところが中学に進学すると、クラスによって遠足や林間学校があったりなかったりでした。担任の先生の専門が体育や理科のクラスではよく行っていたようですが、私のクラスの担任の先生は英語が専門でしたので遠足や林間学校はありませでした。そこで、一人で、あるいはクラスメートを誘って日帰りで山歩きをするようになったわけです。これが私の山歩きの事始めです。

夏休みには学校からテントを借りてクラスメートとキャンプに行きました。また、中学の卒業記念にクラスメートと一緒に山小屋に泊まって丹沢を縦走しましたが、これが私の初めての小屋泊まり山行でした。この時、(旧)尊仏小屋に泊まったのですが、その時の素泊まり料金は確か、130円でした。昭和36年の春のことです。ちなみに、現在の尊仏小屋は昭和61年に建てたものです。

さて、私が山歩きを好きになったのは、そもそも小学生の時に遠足や林間学校が大好きだったからですが、ではなぜ私が小学生の時に遠足や林間学校が大好きだったのか、それを探って見ようと思うのです。そんなことは読者の皆さんにとってはどうでも良いことかもしれません。しかし、私の記憶によると小学生の時に遠足や林間学校が嫌いな人はいなかったように思います。みんなが好きだったのです。

それなのに、なぜ、中学生になると遠足(山歩き)やキャンプをしなくなってしまうのでしょうか。誰かが計画してくれれば参加するのかもしれません。つまり、自分から進んで実行する人と、好きなことでも誰かにお膳立てしてもらわないと実行しない人とがいるということです。性格の違いなのかもしれません。あるいは、自分から実行するほど好きではないということなのかもしれません。そこの所を探ってみたいと思うのです。つまり、私の山歩きの事始めのそのまた始めを探ってみようと思うのです。

記憶を頼りに、山歩きに通じる幼い頃の経験を振り返ってみたいと思います。私は2歳の時に迷子になったことがあります。母親が「ここで動かないでじっと待っているんだよ」と言って忽然と消えたのを覚えています。私は、母が急にいなくなったことに恐ろしさを感じ、母の言いつけを忘れ、母を捜すためにその場を離れてしまったのです。母は単に近くの公衆トイレに入っただけだったのですが、この時に感じた恐ろしさは現在でも道に迷った時に思い出されます。人間は頼れるものがなくなると恐ろしさを感じるのです。ですから、山歩きをするときには「お守り」として地図と磁石を必ず持っていくことにしています。山の中で最も頼りになるのは地図と磁石だからです。

3歳の時に、一人で歩いた道は絶対に忘れない、という自信を持った経験があります。あるとき、おばさんの家まで一人でお使いに行くことになりました。おばさんの家までは歩いて1時間程かかるのですが、かつて一度だけ一人で行ったことがあるので道は覚えています。ところが、おばさんの家に行く道が途中から消えているのです。何度もその近くを探したのですが、どうしても見つかりません。そこで、あきらめて家に戻り、道が消えたと父に言いました。すると父は私をしかり、道が消えるわけがないだろう、3歳にもなって一人でお使いに行けないのかと私の尻をたたきました。私はわんわん泣いて、本当に道が消えたんだと言い張りました。

それからしばらくして母が、「孝敏(私の名前)が言っていたことは本当らしい、今日、姉さんが来て道の途中が宅地に変わってしまったと言っていた」と言いました。その後、父と一緒におばさんの家に行く機会があり、現場を見て父も納得してくれました。私はその時、一人で歩いたことのある道は絶対に忘れないという自信を持ちました。この時の経験は現在でも生きていて、大雨などで道が流されてしまった場合にも、また、地図に書かれている道が実際と違っている場合にも、かつて一人で歩いた道であれば記憶を頼りになんとか山を歩くことができるのです。これはおそらく、一人で歩く時にはいろいろなことに気を配りながら歩くためではないかと思います。よって、グループや集団で山歩きをする時にも人を頼らないで歩くようにしています。つまり、地図で現在位置を確認しながら歩いています。

4歳の時から保育園に通い始めました。保育園に通い始めてまもまく、保育園でうんこをしたくなりました。それまで、自分の家とおばさんの家以外でうんこをしたことがなかったので、急いで家に帰りました。その道の遠かったこと。この、うんこを我慢しながら一生懸命に走ったことを良く覚えています。今でも山道を急いで歩くときにこの時のことを思い出します。それは山歩きに思ったより時間がかかり、最終のバスに間に合いそうもないときとか、暗くなってヘッドランプの電池が残り少なくなった時とかです。薄暗い下山道を急いで歩くと、つまずいて谷にダイブしてしまい、大怪我をすることがあります。このようなことがないように、計画に余裕を持つと共に、日帰りでも必ずツェルト(簡易テント)とヘッドランプと予備の電池とを必ず持っていくようにしています。

6歳の時にどろぼうを捕まえたことがあります。隣の家に5歳になる子がいて、私と同じ保育園に一緒に通っていました。あるとき、その子のお母さんが、いつも一緒に行ってくれてありがとう、と言って私に弁当を作ってくれたのです。保育園に出かける前に、弁当の中身を見せてくれました。それはいつもの黒い「のり弁」とは違って、一面ピンク色の見たこともない弁当でした。後で分かりましたが、ご飯の上にデンブをかけたものです。それを脇に抱えていつものように二人で保育園に行きました。保育園に着いた時、「おはようございます」と挨拶をすると、近くにいた保母さんと園児数人がこちらを見て、一斉に「おはようございます」と私たちに挨拶してくれました。

と、その時です。私が抱えていた弁当が背後からひったくられたのです。みんながちょうど私たちの方を見たときですから、盗まれたのをみんなが見ていたわけです。私はすぐに振り返って、逃げていく泥棒を夢中で追いかけました。せっかく隣のおばさんが作ってくれたおいしそうな弁当を取られてなるものか、と一生懸命に追いかけました。後ろから保母さんが大きな声で、「戻って来なさい」と叫んだのですが、私は絶対に逃がすものかと追いかけました。泥棒は私より足が速いので、すぐに離されてしまいましたが、私は見失わないようにどこまでも追いかけました。

泥棒はづっと先の曲がり角で曲がったので、見えなくなったのですが、それでも追いかけました。その曲がり角は絶対に忘れないぞと思いながら走りました。ようやく私もその曲がり角を曲がって、先の方を見ると、泥棒がづっと先の方を走って逃げていくのがわかりました。それで、なお追いかけました。ところがとうとう見失ってしまったのです。見失った場所までようやくたどり着いてあたりを探したのですが、どこに隠れたのか見つかりません。一生懸命に探していると保母さんが後ろから私を追いかけて来てくれました。

それでしばらく一緒に探したのですが、なかなか見つからず保母さんはもう帰ろうと言います。ところが私は、「確かにこのあたりで見失ったのだから一緒に探せば必ず見つかるはずだ」と言い張りました。さらにしばらく探してから、もうあきらめて帰ろうと思った時、ふと床屋の中を窓からのぞくと、泥棒が髪を切っているではないですか。私は、「いた!」と叫びました。すると保母さんも窓越しに中をのぞいて、「確かに似ている」と言いました。泥棒はすでに髪を切って丸坊主になっていたので、はっきりとは分からなかったのです。そこで私は、床屋の反対側の窓からのぞいて見ました。すると待合室に私の弁当が置いてあるのが分かったのです。それなのに、保母さんは中に入って泥棒を捕まえようとはしませんでした。怖いと言うのです。

それで、その場でどうしようかと二人でじっとしていたのですが、しばらくすると保育園の男の先生が私たちを探しに来てくれたのです。男の先生は園児から話しを聞いて、道の途中で人に尋ねながら私たちを追いかけて来てくれたのです。男の先生は私に、あの男が本当に泥棒だということを確かめることができないだろうかと聞いたので、私は「できる」と言いました。弁当の中身を僕は知っているけれど泥棒は知らないと言いました。

それを聞いた男の先生はすぐに床屋の中に入り、待合室に置いてあった私の弁当を持ってその男のそばに行き、「こいつはこの弁当を取った泥棒だ」と言ったのです。それで、私も中に入り僕の弁当を取ったんだと言うと、床屋さんは事情を察してすぐにその男の腕をつかみ、ちょうどひげをそっていた剃刀をその男の首に当てたのです。すると泥棒は観念して、ごめんなさいと言いました。それから、床屋のおばさんがおまわり屋さん(警察のことを当時私はそう呼んでいた)に電話したのです。しばらくしてから、おまわり屋さんが来ていろいろと聞かれました。その泥棒は盗みの常習犯だということでした。その後、男の先生だけ残って保母さんと私は保育園に帰りました。

それから数日して、保育園が休みの日に、おまわり屋さんが私を表彰してくれるというので母と一緒に行きました。保育園には園長先生と男の先生と保母さんと2人のおまわり屋さんが私を待っていました。私が行くとすぐに表彰式が始まりました。園長先生と男の先生と保母さんの3人が並んで立ち、その前におまわり屋さんが立って表彰状を読み3人に渡しました。私は3人のすぐ近くに母と一緒に立っていましたが、私には何もくれませんでした。おまわり屋さんは私の頭をなでて、「偉かったね」と言っただけです。

そのときから私はおまわり屋さんが嫌いになりました。関係のない園長先生まで表彰されたのに、なぜ私が表彰されないのか、子供だからといって馬鹿にするなと思いました。泥棒を追いかけて一生懸命に走った道は私がそれまで一度も歩いたことのない道でしたが、泥棒が曲がった曲がり角は今でも覚えています。このときの経験から、山でも曲がり角を忘れないようにしながら歩いていけば、絶対に道を間違えることはないと思うようになりました。山で道に迷う原因は曲がり角を間違えるからです。よって、曲がり角を曲がる時には必ず振り返って周囲の景色を確認してから曲がるようにしています。なぜなら、行く時に見る景色と、戻るときに見る景色とは全く違うからです。

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