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第15回 冬の蝶ヶ岳は風が怖かった

冬山テント山行の装備をザックに詰めると28キロになった。これ以上の荷物は私には担げないし、これ以下の装備では私の登山技術と体力では危険である。検討に検討を重ねた結果の必要最小限の装備である。私の場合、通常、日帰りハイキングで10キロ程度、2、3日の小屋泊まり山行で15キロ程度であるから、28キロはかなりの重量である。すでに約2ヶ月間、毎日のジョギングと暇を見ての訓練登山を続けているので、体力体調は万全であり、このことも考慮しての最小限の装備であった。

中の湯に到着すると玄関先で「大変な荷物ですね」と言われた。中の湯は冬の北アルプス登山の基地だから、大勢の熟練登山者が泊まる。技術と体力で勝る熟練登山者は大きな荷物を持つ必要がない。私の荷物を見て大変な荷物ですねと言ったのはおそらく未熟者と判断した皮肉と思われる。しかし、「単独ですか」と聞かれ、「そうです」と答えると、「じゃぁ、仕方ないですね」と言われた。

単独での北アルプス冬山登山者はあまりいないので、中の湯の主人が私の荷物を見て少しびっくりしたのである。グループでの登山であればテントやコンロなどの共同装備は手分けして持つので、それほど重くなることはないのである。しかし、昔の冬山登山者はもっと大きな荷物を背負って登ったものである。そのことを主人が知らないわけではないだろうが、現在は装備がコンパクトで軽くなったので、大きな荷物を背負って登る人はほとんどいない。

翌朝、中の湯に登山計画書を提出して出発した。ここから上高地までは通行止めになっているので歩かなくてはならない。釜トンネルは真っ暗なのでヘッドランプをつけて歩く。天井から落ちてくる水が凍って足元がすべるのでアイゼンをつける。上高地に着くと予想以上に大勢の人がいた。ほとんどが冬の上高地散策に来た人たちである。プロのカメラマンらしい人たちもいる。上高地の旅館やホテルはすべて閉まっているが、大正池ホテルだけが営業していて賑わっていた。

冬の上高地の景色を味わいながら凍った道を歩く。アイゼンがサクサクと気持ちよく刺さる。徳沢に着くと冬季小屋が開いていて数人の登山者がいた。テントも幾つか張られていた。私はテントを張ることにした。食事の用意が大変だ。まず、雪を溶かして水を少し作る。水が少しできたらそれに雪を足しながら溶かす。こうすると効率よく多くの水ができる。一度に多くの水を作ろうとすると一時間たってもできない。ちなみに、水筒に水を入れてザックに入れておいても凍ってしまって使えなくなる。よって、水は現地で作るしかないのである。食事を済ませ、余った水は水筒に入れて翌朝まで凍らないように寝袋の中で抱いて寝た。

冬の北アルプスはいつも雪が降っていて風が吹いている。晴れることはめったにない。天気が良いといっても雪と風がいつもより少ないだけのことである。ところが翌朝は快晴であった。山頂アタックの日になんと運が良いことか。しかし、それだけに寒さがこたえる。雪の日よりも晴れの日のほうが寒い。

ちなみに、冬の北アルプスは通常、マイナス15度程度で八ヶ岳よりも暖かい。八ヶ岳はマイナス20程度になる。八ヶ岳ではあまり雪が降らず晴れの日が多いため放射冷却で冷えるからである。暗いうちにテントをたたみ出発した。長堀尾根を登る。アイゼンと輪カンを併用しているが、一歩踏み出すとひざまで雪に埋もれてしまうので雪を蹴り上げるように歩く。蝶ヶ岳山頂近くまで樹林帯なので風はあまりない。快適な登りが続く。

樹林帯を抜けると吹雪であった。いつの間にか天候が悪化していた。樹林帯の中は静かで日もあまり射さないので気づかなかった。登頂をあきらめて樹林帯でテントを張るか、それとも山頂までがんばって登って、小屋で寝るか、どちらがよいか考えた。がんばって山頂まで行ってみよう、ダメなようなら途中で引き返して来ればよいと決めた。風で吹き飛ばされそうになりながら吹雪の中を三点支持で一歩一歩歩く。

ちなみに、三点支持とは年寄りが杖を突きながら前かがみになって歩くように、二本の足とピッケルで突く位置とが正三角形の形になるようにして体を支持することである。そうすれば、どの方向から強い風が吹いてきても飛ばされることがない。そして、三点のうち一点だけを順に動かしながら前進するのである。樹林帯から山頂までは通常は20分程度だがかなり遠くに感じられた。ここで引き返そうかと途中で何度も考えた。小屋が見え隠れするところまで来た時に人とすれ違った。すれ違いざまにその人が何かを言ったようなので聞き返したが、風が強いので良くわからなかった。ようやく小屋に着いた。

小屋の出入り口を探して小屋の周りを歩き回ったがなかなか見つからない。この山行計画を立てる際に、予め小屋のオーナーに冬季小屋を利用させてもらいたいと手紙を書いた。その返事に小屋の出入り口の地図が同封されていたので、それをザックから取り出し見ながら出入り口を探した。小屋の横側、風があまり当たらない場所の片隅に出入り口が設置されていた。それは人が一人入るのがやっとという縦横80センチ程度の正方形の出入り口であった。留め金をはずして扉を上に持ち上げ中をのぞいたが真っ暗で何も見えない。そこで、ザックが飛ばされないように、出入り口の外にピッケルで固定してから、上半身を中に入れてヘッドランプをつけてのぞいてみた。すると、四角い筒のような通路になっている。

中に入ってほふく前進した。2メートルほど進むとヘッドランプの明かりがそこかしこに見える。部屋に出たようだ。四角い筒から這い出し、部屋に足を踏み入れ、ヘッドランプで中を照らすと、数十人の人たちが夕食の用意をしている。私の落ち着く場所はないかと探したが、どこにも隙間がないようだ。一ヵ所使えそうな場所を見つけたが良く見るとそこはトイレであった。しかもその中で食事の用意をしている人がいた。排せつ物が丸見えであるうえ、誰かが用を足す時にはどかなくてはならない。しかし、排せつ物は凍っていて全く臭くはない。

トイレの中の隙間に一旦は座ってみたが、どうも食事の用意をする気にはならない。しかもここでは寝る場所もない。ではどうするか、樹林帯まで戻るか、それとも小屋のとなりにテントを張るかどちらかである。この風で樹林帯まで戻るのは危険である。テントを張ることにした。いざとなれば小屋に逃げ込めばよいと思った。

小屋の出入り口のすぐ近くにテントを張った。テントを固定するペグ(杭)はピッケルで穴を掘って埋め、その上に雪を詰め、そして、おしっこをかけて凍らせて固めた。これで風でペグが抜けるようなことはないだろう。小屋に比べるとテントの中は広い。一人でテントを占領できるのがうれしい。大の字になって落ち着くとふと思いだした。先ほど風の中ですれ違った人は、小屋は人でいっぱいなので入れないと言っていたような気がする。

食事の用意をした。水を作り鍋焼きうどんを作って食べた。実にうまかった。冬の高山では、ほとんどの人はこのような手の込んだ食事はしない。カップラーメンなどお湯を沸かして入れるだけでできるものを食べる。しかし私は、冬山では温かい具だくさんのうどんを食べる。すると元気が出るのでいつもそうしている。腹もいっぱいになったし、あとは明日の朝まで何もすることはない。少し早いが何もすることがないので寝袋に入ることにした。外はまだ明るい。疲れが出たのかいつの間にか寝てしまった。

テントがバタバタする音で目が覚めた。風でテント全体がうねっている。テントの天井が顔を何度もこする。ものすごい風だ。これではテントが飛ばされるのは時間の問題である。恐ろしくなり、テントから出て小屋に逃げ込もうとした。靴を履いて、アイゼンを着けピッケルをたよりに小屋の出入り口まで行こうと思った。が、しかし、テントから体を出せない。たった数メートルなのにそれができない。テントから半分体を出したとたんに体が飛ばされそうになる。テントから出られない。どうしよう。テントごと飛ばされたら確実に谷に向かって飛んでいくだろう。俺の人生もこれで終わりか。

運を天に任せるしかない。どうにでもなれという気持ちになった。すると気持ちが落ち着いてきた。そして、今までの人生を振り返った。いろいろなことが思い出される。ふと人の声が聞こえた。空耳かもしれない。また、聞こえる。なんだろう。しばらくして聞こえなくなった。そのうち風も弱まってきた。安心する。そこで寝袋に入ってまた寝た。

翌朝起きるとすでに明るくなっていた。風は完全に治まっていた。テントから這い出して見ると、なんと私のテントの周りに雪のブロックが積み上げられていた。夕べ誰かが私のために積み上げてくれたのだ。これで夕べ風が弱まったわけがわかった。良く見ると、私のテントの隣に雪洞が掘られている。夕べは気がつかなかったが、お隣さんがいたのだ。雪のブロックを作ってくれたのはこのお隣さんにちがいないと思い、早速お礼に雪洞の中に入っていった。だが、中には誰もいなかった。

明らかに夕べ泊まった形跡がある。たくさんの靴跡があり、しかもそれは新しかった。すでに出発した後だった。急いで稜線の方を見ると、遠くに数人の人が歩いているのが見えた。見ず知らずのあの人たちが私の命を救ってくれたのだ。その人たちに向かって手を合わせ声を出して、「ありがとう、本当にありがとう」と言った。互いにザイルで体を確保して作業をしてくれたにちがいない。山の仲間はありがたいものである。

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