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第1章 業務効率化・業務改革の取組に当たって

1-1 日本の生産性が欧米より低い理由

(1)生産性とは

生産性とは、投入(インプット)に対して得られる効果(アウトプット)を言います。つまり、

生産性=効果/投入

です。よって、何を効果(アウトプット)とし、何を投入(インプット)とするかによって、いろいろな生産性が考えられます。代表的な生産性は、アウトプットを付加価値とし、インプットを従業員数とする生産性です。つまり、

生産性=付加価値/従業員数

です。これを労働生産性と言います。従業員1人当たりの付加価値です。企業はこの労働生産性を高めるために、できるだけ少ない従業員数で、できるだけ多くの付加価値を生み出そうとしているのです。

また、インプットを従業員数でなく、全従業員の労働時間とする場合もあります。つまり、生産性を1時間当たりの付加価値とする場合です。

生産性=付加価値/従業員数×1人当たり労働時間

です。

(2)付加価値とは

では、付加価値とは何でしょうか。付加価値とは、

付加価値=売上-外部支払(購入)費用・・・・・・減算法

又は、

付加価値=営業利益+人件費+減価償却費・・・・・・加算法

です。減算法の計算式を変形すると、売上=外部支払費用+付加価値となりますから、付加価値とは、文字どおり、企業が新たに付加した価値のことです。つまり、付加価値とは企業の稼ぎです。ですから、企業にとって重要な数値となるのです。

主な外部支払費用は、メーカーでは材料費と外注加工賃、流通(卸、小売り)業では仕入費用です。これらの外部支払費用を売上から引けば企業の稼ぎになります。この稼ぎが付加価値なのです。したがって、従業員1人当たりの付加価値、すなわち、労働生産性を高めることは企業にとって最も重要です。ちなみに、労働生産性は従業員の給料を決める時に最も重視される数値となります。

上記の付加価値の計算式は概算ですが、実務上は上記の計算式で良いと思います。また、付加価値の計算式は考え方によって異なります。考え方の違いで良く知られているものには、日銀方式と中小企業庁方式とがあります。例えば、日銀方式は人件費、又は従業員数に経営者は含まれませんが、中小企業庁方式は経営者も含まれます。通常、大企業は日銀方式を用い、中小企業は中小企業庁方式を用いています。

なお、多くの企業では、付加価値のことを単に価値と呼ぶことが多いです。その理由は、上記の計算式でお分かりのように、付加価値は会社全体の価値なので、個々の作業や業務の付加価値を計算することはできないからです。よって、売上や利益を高める作業や業務は価値があり、そうでない場合は価値がないと判断します。本書においても、同様です。

(3)日本の生産性が欧米より低いのは集団主義が主な原因

「日本の生産性は欧米より低い」ということを筆者は学生時代に学びました。しかし、未だに低いのはなぜでしょうか。筆者が学生のころは、欧米に追い付け、追い越せの時代でしたから、日本の生産性が欧米に比較して低いのは理解できるのですが、現在に至っても低いのはなぜでしょうか。

その理由として、「製造業の生産性は高くなったけれども、非製造業が低いままだから、日本全体では低くなってしまう」という意見があります。実際に、調査した結果、そうなのだそうです。そして、非製造業が低い理由として、流通(卸・小売り)業やサービス業は、昔から「おもてなし」の精神で仕事をしているから、というのです。つまり、「おもてなし」のために人や時間が多く必要なのだから、生産性が低くても仕方ないという意見です。

一理はあると思います。しかし、筆者はもっと根本的な原因があると思います。日本の生産性が欧米に比較して低いのは、集団主義が主な原因だと思います。その理由をこれから具体的に説明しようと思います。ちなみに、集団主義とは、「個人より集団の方が重要で、集団の決定が個人の都合に優先する」という考え方です。一方、個人主義とは、「個人の都合や意見を尊重する」という考え方です。なお、欧米では個人主義です。

以前から、日本的経営の特徴と言われているのは、集団主義、企業別労働組合、終身雇用制度、年功序列制度などです。このうち、労働組合、終身雇用制度、年功序列制度などは年々減少し、現在では一部の企業に存在している程度です。しかし、集団主義は現在でも多くの企業に根強く残っています。そして、生産性に最も影響するのが集団主義です。集団主義は、日本の企業風土(企業文化)となっていますが、日本の国の文化でもあります。

日本的経営の特徴について最初に指摘したのは、エズラ・F・ヴォ―ゲル氏で、その著書、『ジャパンアズナンバーワン』に書かれています。エズラ・F・ヴォ―ゲル氏は著書の中で、日本の集団主義について次のように書いています。「国際的な尺度からいえば、現代日本の大企業は組織として成功している。その成功の原因は、日本民族の中に流れている神秘的な集団的忠誠心などによるのではなく、この組織が個人に帰属意識と自尊心を与え、働く人々に、自分の将来は企業が成功することによってこそ保障されるという自覚を与えているからである」と。

つまり、「自分の将来は企業が成功することによってこそ保障される」という自覚を企業が個人に与えているので、個人より企業を優先するのです。これが、日本の集団主義と言われるものです。この著書を契機に、日本だけでなく、欧米の多くの学者や研究者が日本的経営について研究し、一時、日本的経営研究ブームを起こしました。なぜ、日本の企業は、世界でナンバーワンなのかの研究です。そして、日本的経営に関する多くの本が出版されました。

さて、日本の企業では、現在でも集団主義に基づく慣習が多く見られます。例えば、入社する時には入社式を行い、みんなで社歌を歌います。みんなで社員旅行に行くこともあります。会社に対する忠誠心、団結心、貢献意欲などを高めるためです。また、「ノー残業デイ」を決めて、みんなで実行します。さらに、何か重大な事に当たる時には、「全社一丸となって」みんなで取り組みます。

また、日本の多くの企業では集団による意思決定、及び集団による実行を行っています。日本の企業では何でもみんなで決め、みんなで実行します。よって、会議や打ち合わせが非常に多くなります。社長と言えども、1人で意思決定することはできません。よって、トップダウンではなく、ボトムアップになります。また、みんなで決めて、みんなで実行するので、たとえ決定や実行が間違っていても誰の責任にもなりません。「みんなで決めれば怖くない、みんなで実行すれば誰の責任にもならない」のです。

(4)日本の企業と欧米の企業との比較

欧米では個人主義ですから、欧米の企業には入社式も、社歌も、社員旅行も、ノー残業デイもありません。また、全社一丸となって取り組んだりしません。各自がきちんと労働契約に基づく仕事をすれば良いのです。会社と個人とは労働契約によって結ばれています。仕事の内容も、労働時間も、給料も、会社と個人との契約によって決められます。

実際には、上司との契約だといっても良いでしょう。よって、従業員は上司の考えだけで昇進・昇給したり、あるいは逆に、減給、降格、あるいは解雇されたりします。日本ではよほどのことがなければ、減給、降格、解雇されたりしませんが、欧米では上司の考えだけで簡単に減給、降格、解雇されます。

日本では就職ではなく、就社ですので、どんな仕事をするかは入社したときには分かりません。また、会社や上司の都合で部署が変ったり、仕事の内容が変わったりします。気が進まない仕事でも、命令されれば行わなければなりません。「業務命令」には従わなければならないのです。

実際に、日本の多くの企業の業務分掌規程には、「その他の業務」とか「命じられた業務」などという業務名称が書かれています。つまり、どのような業務を命じられるか分からないのです。欧米では部署が変ったり仕事の内容が変わったりすれば、改めて労働契約をします。よって、仕事の内容、労働時間、給料などは変更の都度、再契約します。

欧米では成果報酬が一般的ですが、日本の企業では時間給や月給が一般的です。そして、残業をすれば残業代が払われます。そこで、従業員の中には、短時間でできる仕事でも、だらだらと長時間行って残業代を稼ごうとする人もいます。また、仕事をしているふりをしたり、やらなくても良いムダな仕事をしたりして残業代を稼ぐ人もいます。

そこで、日本の多くの企業では、残業をしても残業代を払わない、いわゆる「サービス残業」をさせるのです。そのうえ、過労死に至るまで、長時間働かせるのです。そもそも、日本の多くの企業は、できるだけ安い給料で従業員を長時間働かせようとします。しかも、従業員にとって悪いことに、多くの企業は労働基準法を守ろうとはしません。なぜなら、労働基準監督署は職員の数があまりにも少ないため、多くの企業の監督ができないからです。よって、法律があっても取り締まれないのです。それをいいことに、多くの企業は従業員にサービス残業をさせるのです。

ちなみに、筆者はクライアント企業の従業員のふりをして、クライアント企業で行っているサービス残業について労働基準監督署に相談に行ったことが何度もあります。クライアント企業を管轄する各地の労働基準監督署に相談に行きました。しかし、どこの労働基準監督署もサービス残業の実態を調査しようとはしませんでした。

そして、労働基準監督署から言われたことは、「会社を辞めるのなら、辞める1か月前に会社に言ってください。そうすれば、円満に退職できます」でした。どこの労働基準監督署でも同じことを言われました。つまり、どこの労働基準監督署でも企業の違法行為を取り締まらずに、相談に来る従業員を円満退職させようとしたのです。しかし、これでは解決になりません。

従業員にしてみれば、労働基準監督署のアドバイス通り退職しても、他の会社に就職できるとは限らないのです。また、就職できたとしても給料は減ってしまうだろうし、サービス残業の実態はどの企業も同じだろう、と考えます。そこで、結局、退職しないで我慢するしかないのです。要するに、労働基準監督署は労働者の味方ではないのです。むしろ、違法行為を行っている企業の味方であり、労働基準監督署がサービス残業を助長していると言っても過言ではありません。このため、いつまで経ってもサービス残業はなくならないのです。

ところが、最近になって、サービス残業や過労死の問題が、ようやく政府で取り上げられるようになりました。それは、年々労働人口が減少しているため、「日本の将来の経済が危い」と政府が動き出し、「働き方改革」が議論されるようになったからです。しかし、法律を見直してもおそらく実態は変わらないと筆者は思います。政府は「働き方改革」として労働者を増やすため、女性、定年退職者、外国人労働者などが働きやすい法律を作りました。しかし、サービス残業がなくならない限り労働者は増えないし、生産性も向上しないと思います。

なぜなら、女性、定年退職者、外国人労働者たちは、サービス残業を特に嫌うからです。よって、労働者を増やすためには、すべての企業に労働基準法をきちんと守らせ、残業代をきちんと払わせ、サービス残業を無くすことが先決です。そうすれば、女性、定年退職者、外国人労働者などが増えると思います。また、過労死もなくなると思います。なぜなら、企業にしてみれば、多くの残業代を払って働かせるより、新たに人を雇った方が人件費が安くなるからです。労働基準法によれば、残業代は給料の1.25倍、休日出勤や深夜勤務の場合は給料の1.5倍払わなければならないからです。

さて、従業員にも問題があります。日本の企業ではその日の予定の仕事が終わっても帰ることができません。上司が帰らないから帰れないのです。同僚が帰らないから自分だけ帰るわけにはいかないのです。上司もまた、部下が帰らないから帰るわけにはいかないのです。これを「思いやり残業」と言うそうです。腹がすいて、疲れが溜まって、我慢できなくなり、ようやく誰かが帰り支度を始めると、それをきっかけにみんなが次々と帰るのです。つまり、帰るのもみんなで仲良く帰るのです。そして、早く家に帰ると家族に嫌がられるたちが、一緒に飲み会を行うのです。

このように、多くの企業では仕事をだらだらと長時間行って、しかも必要のないムダな仕事まで行ってサービス残業を毎日行っています。こうした様子を見て、筆者は、「バカじゃないの」と思います。どの企業でもこうなるのは、経営者も従業員も、「遅くまで働いている人の方が企業に貢献している」と考えるからです。これも、集団主義の現れです。

欧米の企業には「サービス残業」などというものはありません。「サービス残業」と言うのは、タダ働きのことです。欧米ではタダ働きをする人なんて1人もいません。企業で働くのはボランティア活動ではないのです。契約に基づく労働です。よって、従業員はその日の予定の仕事が終われば、さっさと帰ります。

欧米では契約に基づく仕事をすれば良いのです。ですから、欧米の企業の従業員は、できるだけ短時間で、質の良い仕事を行おうと常に努力します。そうすれば、昇進・昇給のチャンスがあるからです。欧米人が、一生懸命に働いて多くの給料を得ようとするのは、プロテスタントの信条に基づくものです。マックス・ウエーバーの論文「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」にも書かれているように、プロテスタントの信条と資本主義の精神とは一致するのです。実際に、欧米の経営者の80%以上がプロテスタントだそうです。

プロテスタントは多くの収入を得るために、禁欲して一生懸命に働きます。もちろん、会社のためではなく自分のためです。よって、欧米の経営者の給料は、日本の経営者の給料とは比較にならないほど高いのです。また、従業員も給料の高い人ほど尊敬されるのです。従業員は、多くの給料を得るために、常に自分の能力を高めようと努力します。また、より多くの給料がもらえる企業に次々と転職します。

一方、カトリック教徒は自分のためではなく、社会のため、みんなのために働くのです。よって、カトリック教徒の職業は、医者、弁護士、教師、政治家、牧師などが多いそうです。

ところで、最近では、日本の集団主義も崩れてきています。最近の若い人たちは会社のためには働きません。自分のために働き、常に自分を優先します。上司の指示命令には従わず、自分の都合で行動します。例えば、残業よりデートを優先します。また、上司が出席する飲み会には参加しません。そして、自分にとって都合の悪い企業はさっさと辞めます。よって、企業は根本から集団主義を見直す必要があります。

(5)集団主義が培われた背景

集団主義は稲作によって培われました。米を作るには、春に田に水を入れて田植えをし、秋に水を抜いて稲刈りをします。田の水を管理するには、村の人たちが協力して行わなければなりません。みんなで話し合って、いつ田に水を入れるか、また、いつ水を抜くかを決めます。多くの田に上流から順に水を入れ、また、順に水を抜きます。自分の家の田だけ水を入れたり、水を抜いたりすることは絶対にできません。上流から順番に行います。よって、村の決定は各家の都合に優先します。

また、田植えと稲刈りの時には短期間(数日間)に多くの労働を必要とします。このため、家族全員で一斉に働かなければなりません。よって、いつ田植えや稲刈りをするかが決まったら、誰もがそれに従わなければなりません。つまり、常に、家の決定が個人の都合に優先するのです。日本人にとって米は主食ですから、米を作ることは生きるために何より大切なことです。よって、村や家の決定が個人の都合より優先するのです。つまり、「集団の決定が個人の都合より常に優先する」のです。これが集団主義であり、日本に稲作が始まって以来培われた日本の文化なのです。

ちなみに、江戸時代の農業人口は国民全体の80%以上にも達しており、農業が産業全体の大部分を占めていたのです。また、当時は米は貨幣と同様に扱われました。米の収量(石高)でその地域の経済力が測られ、また家の所得が決まったのです。日常生活でも米が貨幣の代わりに使われました。よって、稲作は日本にとって最も重要な産業だったのです。ちなみに、筆者が子供の頃でも、農家では医者への支払いに米を使うことがありました。

集団の決定が個人の都合に優先するのは、稲作の影響だけではありません。儒教の影響もあります。儒教の教えは先祖や年寄りを大切にすることです。先祖のおかげで農家では田畑を所有しているのであり、食料が確保できるのです。また、年寄りのおかげで日々の生活が問題なく過ごせるのです。なぜなら、年寄りは生活に必要なことは何でも知っているからです。何か困ったことがあれば年寄りに相談し、教えてもらうのです。その結果、年寄りは尊敬され、人は年寄りの言うことには従います。こうして、個人は村長や家長の言うことには従うようになります。

よって、たとえ稲作とは関係のないことであっても、個人の勝手な行動は絶対に許されません。個人が村長の決定に従わずに行動すれば、村八分になって村から追い出されます。また、家長の決定に従わなければ、勘当されて家から追い出されるのです。そうなれば、まともに生きていくことができません。なぜなら、村や家を出て他の土地に行っても、よそ者は相手にされないからです。身元保証人がいなければ、よその土地では働くことができません。よって、村八分にされたり、勘当されたりした人はまともに食べ物を得ることができなくなります。

以上のように、稲作、及び儒教によって日本人に培われた集団主義が現代でもそのまま残り、国の文化となり、また、企業の文化ともなっているのです。ちなみに、現在でも日本の企業に就職する時には必ず身元保証人が必要です。一方、欧米の企業では身元保証人は必要ありません。必要なのは個人の能力です。

(6)集団主義がなぜいけないのか

集団主義がなぜいけなのかと言いますと、

  1. 集団による意思決定、及び実行は、時間がかかるため、欧米の企業に後れをとるからです。みんなで話し合って決め、みんなの都合を考慮してスケジュールを決めて実行するから時間がかかるのです。世界的な競争の中で、スピードが要求される時代に、そんな悠長なことをしている暇はないはずです。
  2. 集団による意思決定は、みんなで話し合った後に、多数決によって決められるからです。多数決は通常、リスクを避けて、無難な案に決まるのです。なぜなら、たとえ各自がそれぞれ異なる意見を持っていたとしても、結局は、多くの人の意見に従うのが多数決だからです。よって、画期的な商品は開発されませんし、画期的な事業は行われません。まして、イノベーションは絶対に起こらないのです。
  3. 個人より常に企業(集団)を優先するため、個人の能力がつぶされてしまうからです。みんなで実行するので、みんなに合わせて仕事をするようになるのです。自分だけ人より良い仕事をしたり、自分だけ人より速く仕事をしたりすることはありません。なぜなら、常に、「出る杭は打たれる」からです。

さて、高度経済成長時代は、欧米に追いつけ、追い越せで、先が見えていたので、多数決による無難な決定が良かったのです。しかし、現在はグローバル化の進展により、世界と競争しなければならない時代なので、多数決ではダメなのです。リスクを冒して、これまで誰も考え付かなかった商品を開発したり、これまで誰も実施したことのない事業を行ったりする必要があるのです。

バブル崩壊後10年間は景気が悪く、「失われた10年」と言われました。20年後にも、「失われた20年」と言われました。この原因は、高度経済成長時代の企業風土をそのまま温存しているからです。いつまで失われ続けるのでしょうか。最近、日本の景気が多少良くなっていますが、それは2020年に東京オリンピックが予定されているためと世界の景気が良いからです。日本の企業が景気を良くしているわけではありません。東京オリンピックが終了し、あるいは世界の景気が悪くなれば、また、日本の景気も悪くなるのです。

筆者が学生だった高度経済成長時代は、大学の経営学部でも、企業でも、中期経営計画や長期経営計画が重視されていました。なぜなら、実際に計画通りにできたからです。そのころ欧米では経営戦略が重視されていました。しかし、日本では、「企業は戦争をしているわけではないので戦略は必要ない」などと言う経営者や大学教授が大勢いました。しかし、バブルが崩壊して日本でも経営戦略が重視されるようになり、また最近ではイノベーションが重視されています。しかし、言葉だけが流行しており、多くの企業ではイノベーションの方法が分からないまま右往左往している状況です。

イノベーションはリスクを冒さなければできません。なぜなら、簡単に言えば、イノベーションとは人が思いつかないようなことを行うことだからです。経済史学者シュンペーターが新結合(イノベーション)の担い手としてアントレプレヌール(entrepreneur)と呼んだのは、個人です。企業(集団)ではありません。個人の考え方・価値観を重視し、個人の能力を引き出せない企業は、いつまで経っても欧米の企業には太刀打ちできません。なぜなら、企業の収益力を生み出すのは、現在では、企業(集団)の力ではなく、個人の力(能力)だからです。

このことは現在の欧米の成長企業を見れば分かるはずです。アップル、アマゾン、マイクロソフト・・・・・・・。日本の企業でも、現在、世界を席巻している企業は、かつて個人の能力によって成長した企業であることを忘れてはいけません。トヨタ、ホンダ、松下電器(パナソニック)・・・・・・。また、かつての日本の画期的な製品や事業は、役員全員の反対を押し切って、リスクを冒して断行したものばかりであることを忘れてはいけません。

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