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2.コスト削減の考え方と技術を一通り分かりやすく説明すること

本書の2つ目のねらいは、1つ目のねらいを達成するためでもありますが、コスト削減の考え方と技術を一通り分かりやすく説明することです。と言うのも、多くの企業で、あまりにも多くのムダなことをしているのを見て、実に歯がゆく思ったためです。

本書は、筆者がこれまで取り組んできたコスト削減に関する技術やノウハウを整理し、分かりやすく書いたものです。筆者が最初にコスト削減に取り組んだときから今日まで、よく分からなかったり、できなかったりしたことがたくさんありました。そこで、それらを思い出しながら、コスト削減の考え方と技術について分かりやすく書いてみました。よって、それらを理解しながら容易に読み進めていけるものと思います。初心者は最初のページから順に、経験者は必要な個所だけを読んで下さい。

また、コスト削減に関する多くの本が出版されておりますが、いずれも、「帯に短し、タスキに長し」で、結局、あまり役に立たないと思われるからです。と言うのも、いろいろな企業で次のような話をよく聞くからです。「学者は実務をあまり知らないので、本に書かれていることを実施しようとしても実施する方法が分からない。実務家は理論をあまり知らないので、本に書かれていることがどういう意味を持っているのかが分からない。よって、結局、どちらにしても実施しない」と。コスト削減に関する本を読んでも実施しなければコスト削減はできません。本書は実施することを前提に、コスト削減の考え方と技術について分かりやすく書いたものです。したがって、読んで理解できましたら是非実施してください。

また、専門家が書いた本は、どうしても専門分野に偏り、他の専門分野との関係がよく分からないのです。例えば、コスト削減には、原価計算、IE(インダストリアル・エンジニアリング:管理工学)、VE(バリュー・エンジニアリング:価値工学)などの知識経験が必要ですが、原価計算の専門家は原価計算だけ、IEの専門家はIEだけ、VEの専門家はVEだけ、という具合なのです。現場でコスト削減に取り組む人たちにとって必要なのは、コスト削減に関する一通りの考え方と技術だと思います。また、考え方が理解できたらすぐに実施できるような、現場で役に立つ技術が必要なのです。

例えば、筆者が工業高校の時に使った教科書は、基礎的な理論と実務的な知識が分かりやすく書かれていました。しかも、工場の現場でも使えるように、多少機械油で汚れても大丈夫なように作られていました。筆者はこのような実務高校の教科書の有用性に気づき、高校卒業後、大学生の時も、工場で働いていた時も、また、経営コンサルタントになってからも、いつも手の届くところに工業高校や商業高校の教科書を置いておき、必要に応じて参考にしてきました。

実例を挙げましょう。今、手元に筆者が工業高校の時に使った教科書、『工業経営』(実教出版)があります。半年で学ぶようにできているので教科書としても薄いものです。その内容はIEです。つまり、簡単に言えば工場現場の改善方法が書かれているわけです。授業では講義だけでしたので、いつかこれを実践してみたいと思っていました。

幸いなことに、大学工学部の4年生の時に、たまたまその機会を得ることができたのです。卒業実習の一環として、ある一部上場企業の工場現場で実習をさせてもらえることになり、『工業経営』に書かれていたことを実践してみたのです。すると、なんと大幅な改善ができてしまったのです。その結果、工場長をはじめ、生産管理課長さんや生産技術課長さんから、守屋先生(筆者のことですよ!)と呼ばれるようになってしまったのです。最初は守屋君と呼ばれていたのにです。学生ですから当然です。このことがきっかけで、将来、経営コンサルタントになろうと決心しました。単純な男です。

経営コンサルタントになるためには現場の改善だけでなく、経営や簿記・会計についても勉強する必要があると思いました。そこで、商業高校の教科書を取り寄せて勉強することにしました。今、手元に、商業高校の教科書、『新会計』(実教出版)があります。その表紙を開くと、カラー刷りで、福沢諭吉先生が書かれた『帳合いの法』の紹介があり、その序文が掲載されています。ちなみに、「帳合い」とは簿記のことで、西洋の簿記を翻訳し、日本に最初に紹介したのが福沢諭吉先生で、それがこの『帳合いの法』です。序文には次のように書かれています。

「古来日本国中に於て学者は必ず貧乏なり、金持は必ず無学なり。故に学者の議論は高くして、口にはよく天下をも治ると云へども、一身の借金をば払ふことを知らず。金持の金は沢山にして、或はこれを瓶に納て地に埋ることあれども、天下の経済を学て商売の法を遠大にすることを知らず。盖し其由縁を尋るに学者は自から高ぶりて以為らく、商売は士君子の業に非らずと。金持は自から賤しめて以為らく、商売に学問は不用なりとて知る可きを知らず、学ぶ可きを学ばずして遂に此弊に陥りたるなり。何れも皆商売を軽蔑してこれを学問と思はざりし罪と云ふ可し。今此学者と此金持とをして此帳合の法を学はしめなば、始て西洋実学の実たる所以を知り、学者も自から自身の愚なるに驚き、金持も自から自身の賤しからざるを悟り、相共に実学に勉強して学者も金持と為り金持も学者と為りて、天下の経済更に一面目を改め全国の力を増すに至らん乎、訳者の深く願ふ所なり」と。

以上の『帳合いの法』の序文を筆者なりに現代語に訳せば、次のようになります。「昔から日本国中の学者は必ず貧乏で、金持ちは無学である。学者の言うことはご立派で、口では天下を治めるというが、自分の借金すら払おうとしない。金持ちは沢山の金をビンに入れて地中に埋めるが、経済を学んで商売を大きくする方法を知らない。その理由を尋ねると、学者は、商売というものは大卒者や人格者が行うものではないと言い、金持ちは、自分が卑しい人間であり商売に学問は不用だと言う。知るべきことを知らず、学ぶべきことを学ばなかったため、ついにこのような弊害に陥ったのである。いずれも、商売を軽蔑して商売を学問とは思っていない。これは罪である。もし、学者と金持ちとが簿記を学べば役に立つことを知り、学者は自分が愚かであったことに驚き、金持ちも自分が卑しくないことを悟る。そして、共に実学を勉強することにより、学者は金持ちになり、金持ちは学者となって、天下の経済力が増すことになる。そうなることを訳者としては深く願っている」と。

筆者はこれを読んだ時に、びっくりしました。なぜなら、福沢諭吉先生が『帳合いの法』を出版した明治時代と、筆者が大学生だった当時とが全く同じ状況だったからです。と言うのも、当時、工学部の教授で簿記・会計を知っている人はいなかったからです。筆者が簿記・会計を勉強したいと担任の教授に相談しましたら、そんなことを知っている教官は本学にはいないと言われたのです。教授から、「科学とは真実の追求であり、工学・技術とは有用性と経済性の追求である」と授業で学びましたが、その教授自身が簿記・会計を知らないのです。原価計算ができないのです。要するに、経済性の追求などしていないのです。

実は、この状況は現在でも変わっていません。工学部の教授だけでなく、経済学部の教授でも簿記・会計を勉強していません。経営学部の教授ですら、簿記・会計を勉強していない人がいるのです。大学時代に簿記論や会計学の単位を取っていても、簿記の資格を持っていないのです。つまり、理論は分かっていても実務ができないのです。よって、取引の仕訳ができないので決算書を作ることができません。また、大学教授だけでなく、多くの企業の経営者も簿記・会計を勉強していません。まさに、現在でも福沢諭吉先生の言うとおりの状況なのです。これでは学者はいつまでたっても貧乏で、多くの企業はいつまでたっても商売を大きくすることができないわけです。福沢諭吉先生も草葉の陰で嘆いていることでしょう。

仕事も勉強もスポーツも基礎が大切です。プロであるほど基礎を大切にします。例えば、プロスポーツ選手は常に基礎練習を欠かしません。また、当然ですが、実務を行うには実務知識が必要です。実務知識はすぐに実施でき、役に立つからです。ものづくりについて知りたい人は工業高校の教科書を読めばいいのです。商売や経営管理について知りたい人は商業高校の教科書を読めばいいのです。なぜなら、いずれも基礎理論と実務知識とが分かりやすく書かれているからです。すぐに理解でき、すぐに実施できるのです。経営理論についても、商業高校の教科書は大学の経営学部で使用する教科書よりずっと分かりやすく書かれています。

しかし、企業が必要としているのは基礎理論と実務知識が書かれている本ではなく、考え方と技術が書かれている本です。なぜなら、企業は知識で競争しているわけでなく、技術で競争しているからです。最初、そのような本を一生懸命に探しました。しかし、いくら探しても見つかりません。そこで、自分で書くことにしました。本書が目指しているのは、コスト削減に関する考え方と技術が分かりやすく書かれている本です。誰にでも分かりやすく、容易に技術を習得できる本です。

ちなみに、広辞苑によれば、知識とは「知っていること」で、技術とは「たくみに行うわざ」です。筆者は読者の皆さんにコスト削減がたくみにできるようになってもらいたいのです。そして、企業に儲けてもらいたいのです。本書のねらいが達成できれば幸いです。

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